九州各地の神功皇后伝説とは?・・・その1
日本武尊の熊襲征伐からしばらくの間、九州には朝廷にそむくものもなく平穏が続いていました。
しかし第一四代仲哀天皇のころ、再び熊襲が謀反を起こしました。
悪いことに今度は朝鮮半島の新羅と結んで筑紫国あたりで暴れだしたのです。
これを平定しようとした仲哀天皇は筑紫にやって来たがうまくゆかず、戦況不利のまま香椎(今の福岡市東区)で亡くなってしまいました。
このとき、仲哀天皇の敵討ちとばかりに戦いの指揮を買って出たのが息長帯比売命こと神功皇后です。
二四歳の時、仲哀天皇と結婚して皇后となった彼女は、女ながらに智・仁・勇にすぐれていると評判でした。
その才気をもって神功皇后はまず熊襲を討ち、次にそれを陰で操っていた新羅を降伏させるため、朝鮮半島へ向けて出兵しました。
こうして神功皇后の長い戦いの旅が始まり、北九州一帯にはたくさんの神功皇后伝説が残されています。