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九州地方 アーカイブ

阿蘇大明神/鬼八伝説にせまる!・・・その1

阿蘇山を臨む位置に鎮座する阿蘇神社には、神武天皇の孫にあたり阿蘇大明神の名で知られる健磐龍命が祀られています。

阿蘇山がいつも煙を上げている活発な火山で、古くから地域の人々の信仰の対象となっていたことから、健磐龍命とは本来火山神であったのではないかともいわれています。

その健磐龍命と家来・鬼八についての神話に、次のようにユニークなものがあります。

あるとき、健磐龍命は往生岳に腰掛け、北西の方角にある的石めがけて弓の稽古をしていました。

これに付き添っていた早足自慢の家来「鬼八」がいました。

阿蘇大明神/鬼八伝説にせまる!・・・その2

鬼八は健磐龍命が矢を射るたびに、往生岳から的石まで全力疾走して矢を拾いました。

往生岳と的石の間は、直線距離にして約八キロもあったから、いくら健脚の鬼八でも何度か往復しているうちには次第に疲れてきました。

健磐龍命がちょうど百本目の矢を射たとき、力尽きた鬼八は矢を拾って走ることができず、爪先にその矢をひっかけて健磐龍命のほうへ蹴返しました。

健磐龍命が怒ったのはいうまでもありません。

「とんでもない奴だ!」と怒る健磐龍命のけんまくに、鬼八は震え上がりました。

阿蘇大明神/鬼八伝説にせまる!・・・その3

疲れを忘れ、根子岳を越えて一目散に走って逃げる鬼八とそれを追いかける健磐龍命。

さすがの早足自慢もついに矢部(今の熊本県矢部町)のあたりで健磐龍命に追いつかれ、押さえつけられてしまいました。

そのどさくさで鬼八はおならを漏らし、健磐龍命をひるませて再び逃げ出しました。

ちなみにこのおなら(屍)の数が八発で、八は多いという意味だったことから矢部という地名がついたというおまけまでついています。

さて、走りに走った二人はとうとう日向国にまで来てしまい、五ヶ瀬川(今の熊本・宮崎の県境に流れる)をはさんで大岩を投げ合っての激しい戦いとなりました。

結局、ここで健磐龍命の前に敗れた鬼八は、二度と生き返らぬようにと手・足・首をばらばらに切られ、それぞれ別々の場所に埋められてしまいました。

阿蘇大明神/鬼八伝説にせまる!・・・その4

この神話、鬼八伝説で注目されるのは、健磐龍命と鬼八の二人が追いつ追われつ走ったルートです。

的石にいて弓矢を蹴返した鬼八は阿蘇山の噴火口の北を東に向けてぐるりと回り、根子岳を越えて南下、矢部に至っています。

阿蘇周辺は、噴火口を持つ内輪山を外輪山がとり囲むというカルデラ地形が特徴だが、鬼八はほぼその外輪山の内側に沿って走っています。

現在、ここは国道二六五号の一部が走っており、古くから阿蘇山麓の抜け道が通っていました。

このことから、神代のころからすでに阿蘇周辺には、カルデラ地形を利用した交通路があったのではないかと思われます。

その後二人は矢部から真東の位置を流れる五ヶ瀬川に至りましたが、これを通り越して日向に入ると目前に広がっているのが天孫降臨の地二局千穂地方。

現在、矢部と高千穂地方の間は国道二一八号で連絡していますが、この道の一番はじめは、ひょっとすると鬼八と健磐龍命が苦しまぎれに走った道なのではないかという想像さえ浮かんできます。

日本武尊の武勇伝の背景とは?・・・その1

神武天皇が大和で建国を完成してから時代は進み、第一二代景行天皇を父として生まれたのが日本武尊です。

幼名を小碓命といい、『古事記』によれば若いころから相当な暴れん坊だったようです。

それを見込まれてか、彼はわずか一六歳の時にたったひとりで遠い西国へ熊襲退治にやられています。

熊襲とはそのころ、九州南部で勢力を持っていた熊襲建兄弟の率いる部族で、つわものぞろいの評判でした。

しかし、彼は女装という奇想天外な方法で熊襲に近づき、あっさりと討ち負かしてしまいます。

一六歳の少年の女装姿はよほどかわいらしかったのでしょう。

熊襲建兄弟はすっかり油断してしまい、そばに近づけてしまったのかもしれません。

このとき剣で突かれ、まさに息絶えんばかりとなった熊襲建は、「私のようなつわものを討ち負かしたあなたこそ、日本一の英雄です。

これからはヤマトタケル(倭建、または日本武尊と記す)と名乗って下さい」と言ってこと切れたといいます。

日本武尊の武勇伝の背景とは?・・・その2

この熊襲が住んでいた地域は『古事記』によると、筑紫国(筑前、筑後ー福岡県).豊国(豊前11福岡・大分県、豊後11大分県)・肥国(肥前11佐賀.長崎県、肥後11熊本県)を除く九州一帯とあり、日向(宮崎県)・大隅(鹿児島県)・薩摩(鹿児島)の三国が該当するとされています。

また、豊後・肥前・肥後国の『風土記』には、熊襲は「球磨噌(贈)励」と表記されており、この名称表記からは肥後国の球磨郡一帯と大隅国の贈励郡一帯の二つを合わせたあたりが熊襲の本拠地だったのではないかとも推測できます。

熊襲の語源は、クマが「暗く陰になっているところ」、ソが「山の背に通ずるところ」を意味するという説があるので、九州山地と霧島山系のそれぞれ南麓に位置する球磨と贈励は、まさしくそれに当てはまるというわけです。

球磨地方には球磨川が流れ、舟運など交通の便にも恵まれていたから、熊襲たちが勢力を伸ばしていく過程には、少なからずこの球磨川の舟運も利用されていたことでしょう。

日本武尊の武勇伝の背景とは?・・・その3

日本武尊が九州で最初に上陸した場所は日向国大淀川のほとりといわれ、その後は険しい山道に入っていくつもの峠を越えたとされています。

これはおそらく日向から大隅、大隅から肥後の方へと向かう旅だったに違いありません。

その後日向から肥後へかけては、一〇世紀に「延喜式」(法律の一種)によって当麻(宮崎県田島)~水俣(熊本県)の間を結ぶ駅路が定められました。

現在では、国道二六八号や九州縦貫自動車道が通っています。

これらの道のもとを作ったのは、はたしてこの山中の草を踏み分けて進んだ日本武尊だったのでしょうか。

それとも日本武尊の時代には、すでに道らしきものがあったのだろうか、想像はつきません。

いずれにしても、こうした神話に登場する行路は、ことごとく現代に実在する道とオーバーラップする例が多く、遥かなる時代を偲ぶ空想の世界へと私たちを導いてくれます。

神話の道と現代の道は、気の遠くなるような永い時を経ても、その時代の人々の足音を聞きながら、静かにそしてたくましく私たちを迎えてくれます。

九州各地の神功皇后伝説とは?・・・その1

日本武尊の熊襲征伐からしばらくの間、九州には朝廷にそむくものもなく平穏が続いていました。

しかし第一四代仲哀天皇のころ、再び熊襲が謀反を起こしました。

悪いことに今度は朝鮮半島の新羅と結んで筑紫国あたりで暴れだしたのです。

これを平定しようとした仲哀天皇は筑紫にやって来たがうまくゆかず、戦況不利のまま香椎(今の福岡市東区)で亡くなってしまいました。

このとき、仲哀天皇の敵討ちとばかりに戦いの指揮を買って出たのが息長帯比売命こと神功皇后です。

二四歳の時、仲哀天皇と結婚して皇后となった彼女は、女ながらに智・仁・勇にすぐれていると評判でした。

その才気をもって神功皇后はまず熊襲を討ち、次にそれを陰で操っていた新羅を降伏させるため、朝鮮半島へ向けて出兵しました。

こうして神功皇后の長い戦いの旅が始まり、北九州一帯にはたくさんの神功皇后伝説が残されています。

九州各地の神功皇后伝説とは?・・・その2

香椎で仲哀天皇が亡くなった後、神功皇后は味方の士気をくじかぬようにと天皇の死を秘密にし、海岸沿いに歩を進めました。

その進軍にあたり、これからは亡き天皇に代わって自分が武将になるのだという決意を胸に、御島という小さな島で髪を洗って結い上げ、男装に着替えました。

着替えた場所といわれるのが「浜男」という地名に残っています。

男装し、鎧を身に着けた神功皇后は、古くから壱岐・対馬を経由して朝鮮半島へ渡るルートの発着港だった末盧(今の唐津市一帯)を目指しました。

しかし、その途中、糸島郡の深江にさしかかると突然、体の具合が思わしくなくなりました。

天皇の子を懐妊し、臨月を迎えていたのです。

しかし、今産んでしまっては新羅への出兵にさしさわります。

そこで彼女は御子が途中で産まれないようにと石を二つ持って身に付け、「もし御子が神ならば、凱旋の後にお生まれになってください」と言いました。

その石が鎌懐石といわれ、現在近くの鎮懐石八幡宮の御神体として伝えられています。

九州各地の神功皇后伝説とは?・・・その3

神功皇后の願い通り御子の誕生は遅れました。

そしていよいよ一行は末歴に着き、そこから船で玄界灘に出航したのです。

ところで、唐津には鏡山という地名がありますが、これも出航前に新羅での勝利を祈願した神功皇后が鏡を埋めたという言い伝えからきているそうです。

その祈願のかいあってか、神功皇后の軍は新羅で堂々の勝利を収めました。

最終中継地の対馬・上県から大魚の群れに助けられて威風堂々と進んでくる神功皇后の船団を見た新羅の王は、そのあまりの偉容に驚き、戦わずして降伏してしまったといいます。

勝利を収めた神功皇后一行は筑紫に凱旋し、その日のうちに御子、後の第一五代応神天皇を出産しました。

この出産場所が後に「宇美」という地名をつけられたとされています。

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