九州各地の神功皇后伝説とは?・・・その2
香椎で仲哀天皇が亡くなった後、神功皇后は味方の士気をくじかぬようにと天皇の死を秘密にし、海岸沿いに歩を進めました。
その進軍にあたり、これからは亡き天皇に代わって自分が武将になるのだという決意を胸に、御島という小さな島で髪を洗って結い上げ、男装に着替えました。
着替えた場所といわれるのが「浜男」という地名に残っています。
男装し、鎧を身に着けた神功皇后は、古くから壱岐・対馬を経由して朝鮮半島へ渡るルートの発着港だった末盧(今の唐津市一帯)を目指しました。
しかし、その途中、糸島郡の深江にさしかかると突然、体の具合が思わしくなくなりました。
天皇の子を懐妊し、臨月を迎えていたのです。
しかし、今産んでしまっては新羅への出兵にさしさわります。
そこで彼女は御子が途中で産まれないようにと石を二つ持って身に付け、「もし御子が神ならば、凱旋の後にお生まれになってください」と言いました。
その石が鎌懐石といわれ、現在近くの鎮懐石八幡宮の御神体として伝えられています。