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2010年06月 アーカイブ

九州各地の神功皇后伝説とは?・・・その2

香椎で仲哀天皇が亡くなった後、神功皇后は味方の士気をくじかぬようにと天皇の死を秘密にし、海岸沿いに歩を進めました。

その進軍にあたり、これからは亡き天皇に代わって自分が武将になるのだという決意を胸に、御島という小さな島で髪を洗って結い上げ、男装に着替えました。

着替えた場所といわれるのが「浜男」という地名に残っています。

男装し、鎧を身に着けた神功皇后は、古くから壱岐・対馬を経由して朝鮮半島へ渡るルートの発着港だった末盧(今の唐津市一帯)を目指しました。

しかし、その途中、糸島郡の深江にさしかかると突然、体の具合が思わしくなくなりました。

天皇の子を懐妊し、臨月を迎えていたのです。

しかし、今産んでしまっては新羅への出兵にさしさわります。

そこで彼女は御子が途中で産まれないようにと石を二つ持って身に付け、「もし御子が神ならば、凱旋の後にお生まれになってください」と言いました。

その石が鎌懐石といわれ、現在近くの鎮懐石八幡宮の御神体として伝えられています。

九州各地の神功皇后伝説とは?・・・その3

神功皇后の願い通り御子の誕生は遅れました。

そしていよいよ一行は末歴に着き、そこから船で玄界灘に出航したのです。

ところで、唐津には鏡山という地名がありますが、これも出航前に新羅での勝利を祈願した神功皇后が鏡を埋めたという言い伝えからきているそうです。

その祈願のかいあってか、神功皇后の軍は新羅で堂々の勝利を収めました。

最終中継地の対馬・上県から大魚の群れに助けられて威風堂々と進んでくる神功皇后の船団を見た新羅の王は、そのあまりの偉容に驚き、戦わずして降伏してしまったといいます。

勝利を収めた神功皇后一行は筑紫に凱旋し、その日のうちに御子、後の第一五代応神天皇を出産しました。

この出産場所が後に「宇美」という地名をつけられたとされています。

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